親のマインドコント

そういう流れで、子供が産まれ親にはなったものの、夫はまだ自分の親のマインドコントロール支配下にあった。
わたしは紐崔萊
自分自身は精神的には頼りにならないが、精神的に頼りになる親に助けてもらい子供を大きくしたわけだが、子供が巣立った後は、我々お子ちゃま老夫婦が残った。
精神的に頼りにしていた親はこの世を去り、夫はさぞや寂しいことだろう。
わたしは?
ただただ、ひたすら開放感。
精神的に頼りにしているというのは、表向きであり、支配されていたといってもよい肩頸痛 舒緩
夫は親亡き後も、引き続きわたしを親がしていたように支配しようとするが、もはや効力期限切れである。
夫の意のままにはならない。
それまでは、夫の親の力で従わせていたようなものだが、代わりに夫自身自分がねじ伏せようとしても無理である。
元々仲が悪い我々夫婦は、接着剤役割の親が亡くなり、子供が独立し、もう、くっ付けるものはない。
あるとすると、これまでの過保護ではあったが共に歩んだ歴史、過去。
未来は共有しようと思えば出来るが、今までとは同じ路線では無理。
それまで親がやっていたように親の代わりを夫がするのも無理。
男尊女卑で家父長制のイエをそのまま引き続き存続させようなどと、今時、だれが従う?
何も言わなくても何の説明も説得も懇願もしないで、全て思いを汲み取る妻の役など、したくない。
令和流にアレンジしなければ無理だ。
桂春団治(初代)をテーマにした岡千秋の「浪花恋しぐれ」、芸のためなら女房も泣かす?、というあの歌、先日、NHKの歌番組で聴いて、歌詞に吐き気がした。
本気でむかむか、吐きそうになった。
真っ黒な、腹立たしさが込み上げた澳洲移民