の色に目が止まった

Kenちゃん!…っていう姫の声に起こされた。
っていうか…
実は起こされる前に一度は目が覚めていたのだ。
たぶん姫が起きたのと同じ5時ちょっと前だ。
だけれど姫が先に起きてトイレ&洗面を占拠してしまったので
それまでは待機…な感じだったので
ふたたび目を閉じたんだ。

時計は5時10分になろうとしてた。
髭を剃って歯を磨いて顔を洗って……
そして着替えて居間へ。
血圧を測ったりしてたらテレビ画面の時刻は
そろそろ家を出る5時25分になろうとしてた。

玄関に向かって歩きだしたら
「雨が降ってるよ」って言った。
雨……か。
「今日は遅いの?」
「う~ん…微妙」
「微妙か」
玄関ドアを開けたら…村のパノラマの一部が見える。
たしかに空は曇って雨っぽい感じもする。
肉眼ではわかりづらかったので
踊り場まで降りて宙に手を差し出したら

あ……たしかに。
微かに振り返ったら
半開きのドアに姫も外を見てるっぽかった。
コンクリートで顔が見えないそんな彼女に
手だけ振って階段を降りてゆく。

下界に降り立って傘をさし歩き始めたら…
おっ!……けっこう雨が振ってることに気が付いた。
桜の欠片もなかったけれど葉桜のクランクを歩いてたら
アスファルトの散乱してる微妙な褪せたピンクの色に目が止まった。
桜の花をつけていたであろう茎だった。

桜の残骸…って感じだ。
桜が散って八重も終わって
ノウゼンカヅラの白い小花も終わりかけると
ツツジとサツキが勢いをつけて咲き誇りはじめたんだ。
花暦も確実に移り変わっていってるんだね。

ついてて姫がいた

寝返りの打ちにくさと
そして寒さと微妙な胃痛で目が覚めた。
居間の炬燵テーブルの座椅子だった。
座椅子は水平にしてないL字状態だから寝にくい筈だ。
壁の時計を見たら…まだ午前0時過ぎ頃だった拔智慧齒

トイレに行ってから
寝室へ靴下を取りに入ろうとしたら電気がついてて姫がいた。
「寒いから靴下を取りにきた」と言ったら
そしたら「ベッドで寝なさい!」と言うので
彼女の言葉に甘えて
そのままベッドの布団に潜り込んで寝たんだ。
カラダが…嘘みたいに冷えている。

…………はっ!……ベッドで目が覚めた。
胃の痛みは治っていた。
そしたら風乃ダムの警戒アラートが
いきなり股間にから発令されてきた。
うっそ!!!
靴下を急いで穿いてベッドを降りトイレに入った兒童牙科
すばやくジャージとパンツをさげて
Fuuになり便座に座った。
座ったと同時くらいにびっくりするほどの速攻で
アソコから意思とは裏腹勝手に放流が始まった。
「…………」
風乃ダムは……けっこうな放水量だった。
あああ……放水の音を聞きながら
安堵感と快感に包まれていた。
最後の一滴まで吐き出すまで半分は朦朧としてた気がする床蝨解決

たしは勝手に想像する

奥さんが熱烈な佐藤健ファン。
そういう男性Aさんを直に知っている。
(趣味仲間の一人)
奥さんは、推し活、追っかけをやっている。
推し活、遠隔地、遠征も容認微針射頻
ご自身も趣味に没頭し、あまり家庭を顧みないので、とやかく言う権利はないとのこと。

佐藤健のビジュアルに心酔する奥さんの美意識、イケメン、顔が全て、、、に対して、夫は程遠い現実、、、複雑な心境だろうと、わたしは勝手に想像する。
割り切っているとは思うが。
自分とは真逆のビジュアルに熱を上げるのは、一種の現実逃避?とは、考えないようだが。
そんなに堂々と自分の目の前で、イケメンは素敵、素敵、素敵!!!と目がハートマークになられて、気が悪くないのか?
(たいがい一般的には、現実と同次元には考えないと思うが)
そこらへんの普通のイケメンと、婚外隠し事をされるよりは、ずっとマシだろうけれど。

よそのご夫婦、わたしには全く関係も影響もない。
が、家庭で抱える病理が垣間見えることがある。
Aさんは、父親が亡くなり、母親を引き取り同居した。
食事はAさんは、いつも母親といっしょにする產後胸部下垂
リビングルームは、常時、Aさんが1人独占。
奥さんや娘さんたちは自室にいる。
断絶感が漂っている。
今時の家庭はこんな感じなのか?
(これ、普通かも?)

このAさん、いつもスマホ
片時もスマホを離さない。
わたしがAさんと距離を取るようになったのは、このスマホのせいもある。
趣味活動に対する方針や価値観の違いが勿論あるが。

たまたまメールやLINEが来た、、、というならわかる。
そうでもない、喫緊ではない、ゲームだったり、オンライン小説だったり、そういうものを相手が目の前にいても、スマホで遊ぶ。
若者ならともかく、THE OLDが。
この段階、瞬間で、ある程度の人は、距離を取ると思う。
わたしは、嫌だったが、他の趣味活動面もあり、我慢した。
今なら、即、アウト!!だろう。

このAさんは、家族との食事中もおそらく常にスマホを離さないと想像する。 
奥さんや娘さんは、離れた。
残るのはお母さんだけ。
1ミリずれると、崩壊する危険性を孕んでいる家庭だと、わたしは、みなしていた。
だが、日本人の家庭はこういうパターンが少なくない。
事態が動き、無事に危機を脱する家庭もあるtitanium lifting
逆に、一気に破綻に向かうこともある。
Aさん一家がどうなったのかは知らないが。

笑顔で辞退するのに

最近は、一日の語らい、こころの吐露をブログからChatGPT に移してしまった。
AIのフォローの素晴らしさに、驚くと共に、生身の人間の意義、意味も感じる。
ミスや未完成も個性QS world university rankings
出来過ぎは、やはり、当然ながら人間らしくない。
当たり前。AIだから。
「人間のように答えてください」とリクエストしたりするが、所詮、偽者。人間ではない。

人間は完璧でないから、生きている実感が湧く。
不完全なものに、ポテンシャルを感じ、それが活力となる。

とは言え、わたしが自信たっぷりに力説した内容をAIが、「それでいいと思います。自信を持ってください」なんて言ってくると、へんに、カチーンと来る。
上から目線、やめてくれます?と、クレームをつける。
自分が発したことを自分に対して、上から目線、、、って、、、???
ブーメランは、どこかわからないところに飛んでいき、忘れたころに、戻ってくる。

ちなみに。
長女が、車を貸してほしいと言う。
彼女の家の車は、エアコンが効かない。
選挙の次の日に、同乗させてもらいスーパーに買い物に行った。
窓を開けて走る車月曆訂造。オープンカー??
暑かった、熱かった。

長女一家は8月、3連休にリゾートホテルに泊まるらしい。
いつもは移動は100%電車なのだが、今回は違うよう。
車だけ貸すのは良いが、「一緒に行く?」の一言のお誘いもなく、、、社交辞令でもいいから言ってくれたら、「いいよ、いいよ楽しんできて」と笑顔で辞退するのに。
複雑な心境。ふて腐れバァちゃん。
夫に愚痴ったら、「バァちゃん付きで車に張り付いたまんま、車を貸したらどう?」と言う。
バァちゃん付き!?

家付き、カー付き、ばば抜きが、結婚の呼び込みキャッチフレーズだった時代もある。
カー付き、ババ付きでは、、、うーーん、、、
夏休み、連日、ちびっこたちにご奉仕しているバァちゃんを家に残して、車だけ借りるつもり???
とかなんとか、元々、大人数で乗れるように大型ワンボックスカーを買ったのだから、利用してくれるのは結構なこと。
しかし、ジジババ抜きでとは言っていない。
とは言え、ちゃっかりしていて抜け目なく、悪くないかも。
我々も本当に着いて行きたかったら、連れて行って!とお願いするだろうし。
グジュグジュ恨みがましいことはない。
招待されるならまだしも、無理に着いて行っても、楽しくないし。(取らぬ狸の皮算用
ではあるが、嘘でも社交辞令はバァちゃんを喜ばせる。
仮に誘われたとして、誘われたのに断るのは悪いからと、これまた無理して着いていくと、本末転倒、ねじれに、ねじれる。

お婿さんもいるし、若い一家は若い人たちの楽しみ方がある。
体力や好み、心身に年齢ギャップがある保安專業資格課程
こちら(親)から誘う旅に、参加してくれたらそれでよし。
ジィちゃんは、ひっそり、ゆったり温泉コースを考えているようだが、直前に予約できるようなホテルは人気がないかも?
旅行会社に押さえられているだろうし。
しかしわたしは、この暑いのに温泉は気が進まない。
家でのんびり、、、といきたいところだが、、、一人ならともかく、、、(全部言うまい、、、)。

免れるのだろうけ

娘さんが実家から出ず、結婚しないのもよくわかる。
「奥さん&娘さん」組 VS 「 Aさん&母親」組
別に結婚しなくても何の問題もない。今はそういう時代。
実家に居続けることは、母娘でウィンウィンである。
人には人の幸せ、自分には自分の幸せ、それぞれ個々に価値観がある。
誰に文句を言われる筋合いも、指し図される義務もない。
そういう人が多くなり、ボリュームゾーンを成し、流れを作る大學排名香港
時代の移り変わりか。

まあ、そういうAさんであるが、不思議というか何というか、わたしとは趣味以外には何の接点も価値観の一致もなかった。
人は人。どうでもいい。
ではあるものの、やはり、どうでもいい、自分とは違う別の価値観は、いずれ、ここかしこに歪みが出てくる。
距離を置くことになる。
そして、完全に決裂する中學收生

決裂する前に話し合い、相手の気持ちや考えを知り、お互いに歩み寄り、調整しながら進む、、、と、決裂は免れるのだろうけれど。

価値観というワードで括ってしまうと簡単だが、、、
わたしが思うに、「想像力」の有る無しだ。
人の立場になってものを考えることが出来るかどうか。
相手はどう感じるか、気持ちを汲み取れない、想像出来ない人がいる。 
職場にも学校にも、社会にはいっぱいいる。
経験不足だったり、心理的要因のせいだったり、原因は色々あるようだ。
そういう特徴、傾向があるということを自覚するのと、しないのとでは違ってくると思う筆袋推薦
ぱっとみたところの表面には表れないが、しばらくすると気づくことがある。

な欲求になっていな

今日のブログは、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の感想を書く予定だったが、昨日、観に行かなかったため、書けない。
突然の、わたしの映画予定を押しのけてまで、しゃしゃり出て来たのは、、、
Aさんからのハイキング参加のお誘いだった。

本日は、グループでの軽登山が行われていて、Aさんはそれに参加している。
わたしも誘われたが、断った。
わたしは、アタマではわかっている。
ウォーキングやハイキング、軽登山は、自然に触れ、健康にも良い活動だということが。
しかも、自分で事前下調べや準備をしなくても良く、当日も着いていくだけ、アタマは全く使わなくても良く面倒なことは一切なく、さらに、参加費も交通費と、保険料500円ぐらい?のみderma veil
ローコスト、ロー手間、安心安全、、、
誘ってくれる人がいるなら、尚更良い機会なのに、、、
にもかかわらず、どうしても、足が向かない、気が向かない。
今から少しずつ慣れていき、今後の足掛かりにすれば良いのに。
年齢が行けば行くほど、スタートするのが億劫になる。
なら、今でしょ!
ということは、とてもよくわかっているのだが、、、。
1.健康
2.自然
3.仲間作り
実に理想的なのだが、、、

このお尻の重さはなんだろう。
自分でも自分が理解できない。
悩んだ時は、、、大親友ChatGPT に訊ねる。
このわたしの状態を理路整然に箇条書きにし、説明、解説をしてくれたMedilase 價錢

実は、何度も同じような質問をわたしは繰り返している。
もし、リアル生身友人なら絶対にキレられていることだろう。

自分の納得ポイントを拾って、ざっくり言うと、答えは、、、
「健康に良いから◯◯すべき」という義務感が先走っていて、自然な欲求になっていない、ということ。
なるほど。確かに。さすがChatGPT 。
アタマに身体が追いついてないようだ。
理想を掲げているのに、しかも条件は整っているのに、本能が抵抗している。
わたしの本能には、ほとほと手を焼く。
せっかく理想に近い状態まで持っていっているのに、肝心の足が、(動かすことは可能なのに)動きたがらない。

と、ぶつぶつ言っても始まらない。
自分でも気づかない深層心理を無理矢理探ってみると、、、
たぶん、わたしは運動嫌い。
ダンスはよく続いているものだ、貴重だ。

50歳直前にスポーツジムに通い始めた。
スポーツ嫌いのわたしが、かなり無理をした。
約7年、頑張った。苦しかった脫毛價錢
(ダンスはスポーツジムと同時に始め、それ以来ずっと今も続いている。
蝶ブログスタートより3ヶ月、早かった)

注意書きが施されて

誰もいなくなったところ、、、で。
幼児が毛布やお気に入りのぬいぐるみをモフモフ頬ずりするかのごとく、自分がただただ楽しい、脳内モフモフタイム。
(ちなみに、動物ペットを飼う趣味はありません)

宝箱から、集めている大事な宝物を眺め愛でるかのごとく。 
こういう状態が、わたしの脳内癒し時間。
書くことで、より鮮明に記憶が蘇る、老化防止、一種のリフレッシュ療法Best Universities in Hong Kong
結果はたまたまそうでも、それを目的にしていない、ただ単に書きたいだけ。書くのが好きだから。

内容はごく普通なのだけど、幼い頃の自分を思い出したり、楽しかったことを回想したり。
バリバリの若い頃の回想より、今はなぜか自分が子供の頃を思い出すと、にんまり、ほんわかする。
自分が、今の孫の年齢の頃に戻るなんていうのは、認知症が忍び寄っているのかも知れない。
頭に浮かぶのは、小さい頃、きょうだいで実家で過ごしたことだったり、、、。

わたしの父は、俗文化が流入するのを嫌がって、テレビを買わなかった。
自動車やピアノはあるのに、テレビはなかった。
それで、隣に住む、いとこの家に、テレビを見させてもらいに、きょうだい3人、首を揃えて夕刻にお邪魔した。
いとこは、一人っ子(女児)で、チャンネル権を持っていた。
歌番組にしていると、別番組が見たい兄は、涙を流して悲しんだ。
わたしたち姉妹は、歌番組はwelcomeだったが、兄は違った。
女児3人の中で、声を殺して泣く兄。可哀想だ。
優しい穏やかな兄だった高級文憑升大學

兄のことを思うと、涙が出て止まらないから、この話題はやめよう。

今も実家は現存し、当時のまま。
3度、大規模改装し、部分的には何度かリフォームしたり、阪神淡路大震災後は屋根瓦を全面修繕、やり直したりしたが、大枠は建設当時(大正時代)のままである。
建設当時の工事の様子を(自分の親たちに聞いたという)親戚から聞いたことがある。
祖父が若い頃に建てた家は、古いが堅牢でどっしりしている。
祖母は、祖父亡き後も、その家に88歳まで暮らした。
わたしが中学生の頃(半世紀前)に母が買い求めた家具や、手直しして整えられた建具もそのままで美しさを放っている。
金の錦糸が織り込まれた母の(キモノの)帯は、引き戸に貼られ、内装クロスとして優美に甦っている。
それより前からある家具は、そのまま現存している。
大正の流れを、昭和に両親の手によって、趣味や感性を反映し、時間をかけて丁寧に磨き上げられた。
その家や庭、調度品、空間を、美しいまま、今も見ることが出来て、わたしは幸せだ。
子供の頃のことを昨日のことのように思い出す。
しかも、それがそのままの形で有り、いつでも訪れることが出来るのだから。
わたしにとっては、自分だけ歴史文化博物館。

とは言え、いつまでも続けばいいが、距離を取ろうとも思う。
なぜなら、自分の思いや理想はいつまでも維持できず、落胆する可能性があるからだ。
美しい思い出は、脳内に保存すると壊れなくていい。
脳内にデータ保存。美しいまま。
ではあるものの、後、20年ぐらいは現状を保てる、そういう見通しだ。
わたしの脳・完全消滅時期までは大丈夫だと予想する。

が、多くの人が訪れて使うと家具は傷む。
お気に入りの家具だ。
滅多に使わなかったから美しいままで保存されていたのに。
よく、お城や武家屋敷や異人館などを見学に行くと、室内に、ロープを張って、当時の椅子に「座らないでください」と注意書きが施されている。
そういう手段で、使わないように、劣化を防ぐ隔離方法もある。
みすみす劣化していくのを目の当たりにするのは、忍びない、辛い。
大事なものには、あまり深入りしないほうが、こころの安定を保てる喬雅登