を埋める手段も見つか

記事で紹介されるAさん。
まあ叩かれても仕方ない行いをしているのではあるが。
本人が望み、法には触れていないなら、人に迷惑かけてないなら、なんでもいいの?の類い。
最後には、行為を介して移る病気に感染し、Aさんはこれではいけないと強く思い、悪癖を絶ったものの、次の、空虚を埋める手段も見つからず、満たされない時間を過ごしている、と記事では〆られていた加拿大移民新政策

まあ、記事的にはそんなものなのだが。
わたしは共鳴も賛同も同情もしないAさんであるものの、、、
書き手の目線、切り口が、わたしは気に入らない。
Aさんがやっている行いは決して良いとは思わないが、彼女を取り巻く環境についての記述が気に入らない。
(それがどうした?の感想で、すみません)

時代が変わり価値観は多様化した。
あくまでも多様化しただけであり、過去の一定の価値観を否定するものではない。
過去の価値観を含め、価値観は押し付けられるものでもなく、一つだけでもない。
国民が一丸となって同じ方向を向いていた時代は終わっただけである。
強制統一から解放され、自由に柔軟な展開になったのだ。

妻は家庭、夫は仕事。ほんの半世紀前までは。
今は共働き。
夫婦別姓はまだ国会を通過せずモタついている。
離婚はよくあることで、シングルマザーもゴロゴロいる九龍區牙醫
後ろ指差されるなどは大過去の話。
結婚相手や恋人も同性だったりもする。
マイノリティもカミングアウト数が増え少ないなりに価値観が認められ、法制度が整い生活を守る。


価値観が多様化したのは結構だが、
公の大手サイトで広く読者に向けて発信する書き手は、気をつけなければならない。
多様化した選択肢の多い中、自分の価値観を基準にして、そうではない価値観を否定、糾弾しているかのような書き方には、違和感、不快感を感じる。
被害者妄想的にわたしが勝手に歪んだ受け取り方をしているのかも知れないが。
(現在の風潮をさらっと書かれているものに対して必要以上に行間を感じ取り、いじけているだけか?
今の時代の価値観を受け入れられないのか)

価値観が多様化したというのは、他の価値観を否定することではない。
一つだけの価値観ではなく、多くの価値観もあるという、選択肢があるということ。
自分の価値観からだけの発想で、決めつけてはいけない。
自分の価値観が自分にはあるなら、他人には他人の価値観がある。
同じではないからといって、自分以外を否定するのは、もはや多様化とは言えない中學收生

なんだかな?。
取材や手記による読みものが多いサイトなのに、、、著者によって色合いがころっと変わる。
読者個人の感想文ならいざ知らずに、発信側はニュートラルに構えて欲しい。
時代の風潮を、良い時代が来たにもかかわらず、わたしが反発して、時代遅れなだけかも知れない。

時々覗き込んだりしたが

昨日は惨々。
久々ぶりに、どっと疲れた。
はじめはいつも通り、夕方から小学生男児孫2人に晩御飯を食べさせるだけの楽々コースの予定だったV面療程
が、早朝にLINEが来た。
娘婿からである。
1番下女児孫(2歳)が発熱のため、家で見てほしいとのこと。
保育所は、一人が発熱すると、その保育所に通う他のきょうだいも休ませるルールになっている。
なので、同時に、おねえちゃん女児孫(5歳)がセットで付いてくる。
「了解です」と快諾LINEを返信した。
その1時間後。
かわいい顔が玄関ドアから現れた。
娘婿に抱っこされていた下の発熱孫は大泣き、機嫌が悪い。
玄関に座らせた後、抱っこしようとしても大拒否。拒絶。反逆児。
預かってからしばらく玄関に座り込んで泣いていたが、布団に寝かせるとそのまま寝た。

そこから全く起きず、延々6時間、眠り続けた。
あまりにも、うんともすんとも起きないので、息をしているか心配で、時々覗き込んだりしたが、息はしていたhairless 脫毛好唔好

発熱女児、心配ではあるものの、起きないので手がかからない。
問題は、元気なのに休まされたおねえちゃん(自分で付けた名前は「ウル」)のほう。
いやはや、お付き合いは疲れた。
何で子供はあんなに元気なのか。
娘婿から、色鉛筆や塗り絵など、遊べるものをリュックに詰め込んでもらっていた。

最初はちょっと塗り絵をしていたが、すぐに、日本語ことわざカルタに移った。
2人しかいないので、読むのはわたし、取るのはウル。
1回目は、下の句をわたしが読んで、上の句をウルが取る。
2回目は、上の句をわたしが読んで、下の句をウルが取る。
3回目も同じく。
わたしは、取ってはいけないルール。
ウルが勝手に決めた。
わたしは読むだけの、女王様の下僕。
いっぱい句があるので、けっこう疲れる。

まあそれは、それほど苦ではない。
次が問題のゲーム。
ドラえもんの恐竜ゲームというスゴロクのような遊びがある。(これは、わたしが自分の子育て中に子供に買った年代もの)
サイコロを振ってコマを進めていく。
これに、ウルがハマった。
たった2人しかいないので、単調極まりない。
1ゲーム、どれぐらいの時間がかかるだろう?
結構、かかる。
3ゲームぐらいすると、疲れてくる。
「もう1回」「えぇ?またぁ??」
もう1回、もう1回と、5回、6回、7回、、、8回、、、もう無理?というところまで、わたしは頑張った。
さらに、体力を使う、老体には厳しい体育会系の遊びに何度も付き合わされたり、、、
若いガタイの丈夫なパパならともかく、わたしの老体が壊れる?。
2番目男児孫が帰ってくるのをひたすら待った。
まだかな、まだかな、まだかなあ?空氣淨化抽濕機

まスマホ入力する気力が

前記事、裏自慢がぎゅぎゅっと詰まっていると感じられた方もいることだろう。
別に自慢したい気持ちはないのだが、悩みの中身がムカつかれる可能性、大。
もっと深刻な悩みなら感情移入していただけるかも知れないが。
けしからんことに、わたしは深刻な悩みはブログには書かない。
書いて未公開にすることも選択肢としてはあるが、書きながら未公開を頭の片隅に感じると、ちまちまスマホ入力する気力が萎える。
そもそも、たいした悩みはない。

病、貧困、戦争、災害、、、それらは、避けられない苦痛、不幸であり、絶望の淵に立つ。
自分ではどうすることも出来ない、逃げられない人間関係もそうだ通渠
それ以外は、命を脅かすほどのものではないかと想像するが、そんなことはなく、現代人のこころは、デリケートだ。
食べることが出来ても、絶望感に襲われることはあるようだ。
命さえあればどうにか(文字通り)生きられると考えるが、それはわたしが楽天家だからだろう。
希望がないと、人は生きられない。

もし、わたしがガラスのハートを持っていれば、現在のわたしはない。
タフといえば聞こえは良いが、無神経なわたしは、痛みに鈍感なのだろう。
だが家の食卓の隣で孫が、お皿を引っかけて料理の煮汁をこぼして、母親にものすごくキツく怒られていると、わたしはとてもキリキリこころが痛む。
彼はわざとしたわけではない。
注意力散漫ではあるが。椅子にちゃんと座らない癖はあるが。
しこたま叱られ、小2男児孫が泣くかと思いきや、平気な顔。
平常心。
わたしだけが痛く傷付いている。

「よくあんなに怒られても泣かないんやね」とわたしが感想をその場で漏らすと、すかさず3番目孫(5歳女児)が、「泣きそうな顔してたけどね」と言う。
叱責されている間、周りは何も言わずにフォローせず、しーーんとしていた。
なんと氷のように冷たい空気。助け舟なし。
怖い空気。
子供よりわたしが堪えるのは、わたし自身がよく失敗したり粗相したりするのは見えているため、自分が責められているような気になるのだろう。

5歳孫とわたしは、ほぼ同じ能力だと感じる場面に度々出会す。
苦笑。
発展途上、未発達の5歳と、スローダウン衰退途上のわたし。
これから先が上下に分かれて違うが、今はクロスしている交差点。
まだわたしには余裕はあるが、孫たちに対してそのうち暖かい目から、頼りにする目に移行していくことだろう服務式住宅
5歳児も、わたしがだんだん衰えてくることがわかると、自然から学ぶ人間観察が出来て、ものごとの仕組みや成り立ちがわかって悪くない。
発芽し、若葉になり、青々茂り、やがて枯れていく。
そういうものである。自然の流れ、摂理。
人間の誕生、成長、衰え、終焉は、身近で見る生きた教え、見本。

ちなみに、この季節、年賀状自体の喪中ハガキが次々来る。
まあ皆さん、ハガキのお父さん、お母さん、ご長寿で、天寿を全うされている。
80代は若い、90代中頃が多く、100歳を超えて亡くなる方も少なくない。
と、毎年そう思っているが、年々強く思うようになった。
少子高齢化社会なんだと実感する。
我々高齢者は、まだ更に高齢の親の世話をしなければならない。
親子で一世代違うならまだしも、同世代の超高齢配偶者を介護する老老介護はもっと大変だ。

け取り方や使い方がわか

働きたくないとストライキを起こす脳と、働け!という脳が格闘し、だいたいマイナポイントの受け取り方や使い方がわかった中国外汇交易中心
問題は、わたしはその指定の出口(決済)で、たいしてお金を使わないことだ。
近所のパン屋さんでは1週間に300円ぐらいしか使わない。
全く使わない週もある。
だとすると、1か月1200円、1年で14400円。
付与分20000ポイント使おうと思うと、1年半かかる。
しかも、そのパン屋さん以外の店舗で買いたい場合は、付与ポイントを使い切る期日を迎えるのが更に先延ばしになる。
何年も何年もかかるわけだ。
先に自分で現金でチャージしなければならないかんじだし。
コンビニでチャージできるようだが、なんだかなあ加拿大留學移民、、、。
チャージも面倒、使うのもあまり予定がない、そんな電子ポイント、、、
(チャージしなくても銀行口座から引き落とされるやり方もあるようだが、既にクレジット引き落としに設定している。
さらに、、、また追加、、、なんて、、、イヤ)

銀行や金融機関を経由してワールドプレゼントポイントに換えるというのもあるようだが。
これまた、またワールドポイントか、、、と食傷気味。
現金ではなく、何かに支払うマネーとなっている。
使わなければ、なんの意味もない電子マネー
モノ、コト、サービス、運賃、交通費、などなど。
唯一、支払いではない使い方をしたければ、人に電子マネーをギフトとしてプレゼントするぐらいか?
人件費として使いたい。
昭和人間は、なんだか疲れる。
気長に近所のパン屋さんに通い、コツコツ使うしかないのか。
(コツコツ貯めるのではなく使うのが、人生計画、生い先短いパターン)
PayPayのQRコードが目に入ると、旅先のお土産物屋さんなどでもサプライズ的に使えることがある。
スーパーの一角のソフトクリーム屋さんで使えたりもする。
処方された薬を受け取る院外薬局で使えることもある。
もともとPayPayは、わたしはクレジット決済にしているのではあるが、チャージ式ではなく使わなければ減らないというものではない。
他の支払いは別のクレジットを優先しているため、PayPayの出番はかなり少ない。
楽天Edyを選択することも出来たが、申請当時はPayPayのほうがまだ身近だったこともあり、PayPayにした活動帳篷
のではあるが、まだ半年も経っていないのだが、申請時点から行動パターンが変わったのでPayPayの出番がなくなった。

ほぼ一種類に絞られてい

列強の国々が陸続きでつながる、広い大陸の中に位置する国と、周りを海に囲まれた島国。
地理的にも歴史的にも、違いは歴然。
日本は島国。
なので、移民や通りすがりの人は(旅人はさておき)ほとんどいないし、
同じ言語(日本語)を話し、先住民を含め民族的にも、ほぼ一種類に絞られているし、
鎖国時代が長かったし。
そして、閉鎖的なムラ社会
あ、うんの呼吸。
目の動きや表情などで、人の思いを汲み取る加拿大新移民

かたや、フランスは、いつ、誰が攻めてくるかもわからない、逃げる時間のない地理条件。
覇者交代によるリスク回避のため、全財産を宝石に換えて持って逃げる準備をしなければならない時代もあった。
狩をする人種、肉食系と、魚や野菜を食べる草食系、農耕民族。
近年は、ライフスタイルも変わり、特徴も大きく変化しているが、長い歴史の積み重ねで培われたものは水面下に根を張っているかも知れない。

木と紙で作られた家に住み、大声も出さないベジタリアン
西洋人から見ると、真逆。
日本人は、一つの方向を見るとパワーが凝縮、集結する傾向にあるようなので(横並び志向)、良い方に行けば良いけれど、悪い方に行くとコワイ、、、それは歴史が物語っている。

今は、過去の反省から、スパルタ軍隊式は非難され、ゆとり教育の影響や、インターネットでの幅広い価値観に触れることで、過去の価値観は変わりつつある。
が、相変わらず個性を尊重しない教育輸入內地人才計劃
職場では厳しい昔風を美学にすると、ブラック企業が横行するからやめてほしいと言われたことがある。
今の若者は軟弱だ、昔は、これこれこうで、、、などと昔話を引き合いに出して時代遅れの価値観を押し付けると確実に嫌われる。

しかしながら、こんな優しい軟弱な国民性で、今後、大丈夫なのかと心配する。
過去の栄光、衰退途上国?

ちなみに、話は脱線するが、
大政奉還から明治維新、あんなに激変、大転換、体制の変わり方はあっぱれだと、わたしは思う。
内乱を伴うといっても早めにケリは付き収まった。
それに比べてフランス革命はスゴイ。
王サマ、王妃サマ、貴族、みんな処刑。
わたしの好きなマリーアントワネットは正に悲劇のヒロイン。
あそこまでする?という激動の時代。
ではあるが、軍人や王族だけではく、一般国民の命が大量に奪われた戦争に関しては、安易な言葉などでは語れない。

戦争経験者はわずかになったが、
フランス革命経験者も、明治維新経験者は一人もいない。 
文献や当時の人が書き記したもので見るしかない東京不動產
フランス革命と関係あるのかないのかわからないが、フランス人の労働者の権利を主張する市民デモはすごいと感じる。
大統領であろうが、学生であろうが、平等。

ある日、上層部と下層部が入れ替わり逆さになる。
どこの国でも体制が変わるとそうなる。
日本なら、元武士、元貴族、元地主。
時代改革をうまく切り抜け乗り超える人と、暴落する人。
特別な階級だけに限らず、庶民にも言える。

でスタンバイでオッケ

娘婿、急に仕事が入り、主要子守要員メンバーから脱会、離脱。
夫の実家にお盆でステイ中である尖沙咀活動場地
家には、盆休みでじいちゃんもいるし、まあやっていけるか。
今は、長女と孫たちは近所周りの河原に散歩に出かけている。
一緒に行かないとだめかなあ、、、と腹をくくっていると(大袈裟)、家でスタンバイでオッケーとのこと。
川遊びは、絶対に危ないからね!!と、孫たちに言いきかせた。
水に浸かったらダメ!!と。

じゃあ、学校のプールは?
じゃあ、スイミングスクールは?
と、咄嗟に返された。
が、なんでもダメ!!と強く言っておいた。

何かあったら連絡ちょうだいね、と長女に言って見送った。
家を出てから10分程で、2番目孫が靴擦れが出来たからカットバンと保湿液、用意しておいてね、とLINEが来た英國讀書
水辺で遊ぶために作られたシューズを履いて行ったので、靴擦れが出来た模様。
行きに靴擦れが出来たら歩けないなあと心配する。

雲行きが怪しくなってきた。
外に干した洗濯物、雨が降ったら入れといて、とLINEあり。
途中、雨が降る。
慌てて部屋から飛び出す。

彼らは傘、持って行ってないのに、どうしよう?
雨シャワーを浴びて水遊び感覚なら、帰ってきてから着替えたらいいか、、、など、もやもやしたり、自分に言い聞かせたり。

着いて行ったら着いて行ったで自分が疲れ、着いて行かなかったら着いて行かないで心配して疲れ、どっちみち疲れて休憩にならない。
お天気雲行きも、晴れたり、曇ったり、にわか雨になったり、持ったり、また晴れたり。

しかし、束の間の静かな時間。
しばらくしたら、ごはん、ごはん、とまたまた騒がしくなる。

※写真は、慌ただしく出かけたあとの彼らの脱いだ服。
自然乾燥中移民PEI

的な現代的な流れになる

古いアタマの人と、価値観が異なるにもかかわらず、古い風習、しきたり、家風を続けなければならないのは苦痛である。
子供たちは、わたしがこれだけグチグチ愚痴っているのを聞き続けていると、彼ら子供の代では今までのしきたりをスパっと止めてしまいそうだ。(その地に住んでいないし)
わたしが両手をあげて、家風に賛成していたとしても、さらに、強制に近い勢い、期待感、熱意丸出しだったとしても、わたしたちがいなくなったら、合理的な現代的な流れになるだろう婦科檢查中心
だれも文句を言う年寄りはいないのだから。
我々があの世に行けば、オバさんやら大オバさんやら、全員この世にいない。
いるのは、子供たちと同世代のいとこたちぐらい。
しかも居住地は別々で遠隔地。
いとこだったら、もう関係ない。
むしろ、家(イエ)としての付き合いなど無関係に近い。
あるとしたら、個人としての付き合い。

家の外の人に自慢しない代わりに、世間には聞こえない閉ざされた家庭内で(姑が)家自慢しまくった(とわたしが感じた)せいで、逆に家庭の中で、自慢される側の家族にアレルギー反応が起こった通淋巴按摩
わたしも、その一人。
姑に自慢され過ぎた。
そして、わたしの子供たちもアレルギー反応派。
わたしに自慢され過ぎた。
(確信はないが、なんとなく懺悔、反省)

たとえ家庭内であっても、内輪で褒め合うのは、もううんざり。
時代は移り変わっている。
核家族、個で成り立つ。

かと言って否定するわけではない。
ただ、自慢はうんざりなのだ。
それがどうした?!と。
わたしも半分、(子供たちに)自慢してきた。(能動的)
残り半分は、自慢されて嫌な気分も味わった。(受動的)
なので、自慢してはいけない。
まさに「それがどうした?!」
よほど他にこころの拠り所がないのだろう。
自分以外のことを自慢する人は、自分自身に自慢するネタがないからに他ならない。

そもそもなぜ自慢する?
わけがわからない。
そんな誇らしげなことか?
くだらない。
自慢した瞬間に、青い鳥は、黒い鳥になる。
こころの中で、ひっそり誇りを持てば良い孕婦按摩
わざわざ口に出してアピールする意味は?