たちも間延びしたことだろ

ちびっ子たち、プールに行くと疲れてよく眠れるらしい。 
が、プールから帰ってきても、元気そのもの。
夜になっても、なかなか寝ない。

1番下孫はもう4歳になっているので、子供たちが4人いても、だいぶん、楽。
3番目と4番目女児孫たちは、女児同士2人で仲良く遊ぶものの、家の中にいると、だんだんデッドヒートしてきて、声はMAX、かなりうるさい。

まあそれはそれとして。
明日は4日目に突入。
ひょっとしたら、明日も泊まるかも?という流れ。
だんだん疲れてきた。
朝食、昼食、おやつ、夕食、、、。
3日も4日も続くと、食事の用意や片付けも大変。
娘婿は一番、疲れていることだろう。

今回は、あまりにも酷暑のため、娘一家も我々も旅行に行かず、娘婿の実家にも帰省せず、我々の帰省先で川遊びやプールで済ましたため、こうなった。
長い長い盆休みとなった。

仏さんたちも今日の夕方にお墓に帰っていただいた。
雨雲が突然、接近して雷がゴロゴロ鳴るなか、お墓に向かって、天候に追われるように、急いで送った。
例年より1日、遅めのご先祖様たちのお見送りになった。
ご先祖様たち、1日長く帰省したからといって、取り立てて特別に何かをお供えするわけでもなく、ご先祖様たちも間延びしたことだろう。
昨夜、夢にはご先祖様は誰も出て来なかったので、たぶん、不平はないと踏んだ。
だが、夢というものは、見る人(本人)が気にしている場合に見るわけで、わたしが気にしていないから、夢にも出て来ないということだろう。

子孫の我々は家族皆んなで仲良く、里帰りして過ごしているから、ご先祖様たちも笑顔で見守ってくれていると思う。
少々のお供えの手抜き、不具合については、目をつぶってくれるだろう。(希望的観測)

ちなみにわたしがご先祖様で直接会って知っているのは、舅、姑、先代の姑、、、の3人だけである。
舅の弟も知っているが、仏壇もお墓も別。
逆に、写真でしか知らない(直接知らない)先代の舅などは、先代の姑と共に同じ位牌に入っている。

お供えものをする時は、知っている人をイメージする。
知らない人は、その他大勢としてイメージする。
直接、仏壇に向かって話しかけるのは、やはり一緒に生活していた姑、舅。
生きているかのように、そこにいるかのように、自然に語りかける。
ご先祖様の皆さんは、お盆で実家に帰って来ているが、わたしにとって、ご先祖様代表は大昔の人ではなく、直近にご先祖様の仲間入りをした姑、舅。
いずれ、わたしもそちらに行きます。
よろしく、とは言わないが、順番、順送り。

て行けたらよいかな

日本で例えると、明治維新の前夜、将軍一家、お家断絶、その最期の残酷な様子を国民にショーアップして見せるようなものか?
(平和的、無血のクーデターだったようだが)
それに比べると、最後の将軍、徳川慶喜さんは、明治以後、長生きして、大正時代まで、素晴らしいリッチで文化的余生を送った。
次々と西洋から取り寄せた新しいものに触れ、使い、謳歌していたと見られる中學派位

第二次世界大戦終決における天皇への扱い然り。
戦勝国と話し合われた結果もあってだそうだが)
日本とは、全く文化が違うように感じる。
ヨーロッパは陸続きで、しかも、クロマニヨン人というと、わたしはすごく強い肉食イメージを描く。
「魚」対「肉」。今は、「草」対「肉」?
平和な島国日本に暮らしていると、想像できない、ということ。
今でこそ、インバウンド観光客が押し寄せ、嫌というほど日本のあちこち各地で、ガイジンさんを見かけるが。
観光を主要産業にしなければ、今後、日本は持たないのかと思うと悲しいやら残念やら、生きていくには協力しなければいけないのやら。
これは、わたしは急激な変化に着いていけない老人の類に足を突っ込んでいるのだろう。

海外に出ていかなくても、向こうからやってくることは、不思議でもあり、恐怖でもある。
黒船来航、いやでござんす(1853)ペリーさん。
開かれた日本は、明治維新以来公立醫院癌症排期??
良いことばかりではないが、お金を落としていってくれるなら、仕方ないか、、、と、やたら消極的、非協力的、ペシミストである、保守的田舎モンのわたし。
遠慮なくドカドカ大量に、というのが、わたしは苦手なのだ。
ヒト、モノ、情報のボーダレス移動、国際化。
グローバル化の波の到来が謳われたのはもう何十年も前。30年前?50年前?
あれから随分時が経っている。
賃金の高い外国に日本から若者が出稼ぎに行く時代になっている。
円の弱さを実感する。
とは言うものの、急激に世界舞台にのし上がった日本だったが、明治の前、江戸時代のように、今よりずっと少ない人口で、細々やって行けたらよいかな、などと思ったりする。

地球温暖化は、先進国の責任が重いと言われている。
電力に過度に頼らず、自然エネルギーの力を借りながら暮らせるようになりたいのが、わたしの理想。(無理を承知で書く)
もうここまで来れば、エアコンの力を借りなければ生活出来ないのだろうけれど、「我慢せずにエアコンをつけて涼しい部屋でお過ごしください」とTVでは呼びかけるばかり。
対症療法ではなく、根本治療が必要だ。
が、太陽や雨量を調節したり、天候を変えるわけなはいかない。
「自然」と「人間」。
攻防の知恵が必要だ磁力共振

というか、平均寿命が伸びているのは、嬉しい幸せなことではあるが、そうとばかりは言っていられない側面もある。
だがしかし、政治家や学者は、発言を一部分だけ切り取られて報道されることがあるため、誤解を受け糾弾される場合がある。
公人は、発言には十分注意しなければならない。
大変だ。

瞬時に子供の頃に時を

湿った暑苦しい空気を一瞬、真ん中を切る風が流れる。
切る、というよりは、もっと優しい。
そよそよ、だけど爽やか。
その風を皮膚に心地良く感じる度に、子供の頃の光景が蘇る攝影班

夏には家の中の風通しが良いように、祖母か母によって、夏用の建具に取り替えられている。
透ける生地、ブルーの波を形取った、涼しげなのれんが、風が吹く度に細長に揺れる。
玄関周りに、打ち水がされている。
風鈴チリンチリンは、あまり記憶にはないが。
夏の風を受けると、田舎の家での、あの気持ちいい風が、瞬時に子供の頃に時を戻す。
ベルを鳴らすとヨダレを垂らすパブロフのワンチャンのごとく。
条件反射的、反応か。

その部屋は、冬には掘り炬燵。
テレビが置いてある。
高い天井には明かり取りの窓。
そこでわたしは、テレビを祖母と観ていた。
兄、姉、両親の姿はテレビを観ていたわたしの思い出の中にはない。
わたしが幼すぎて、当時の印象が薄くて記憶にないのか。

現在もその部屋は同じ位置にテレビが置いてあるが、部屋の役割としては、隣の部屋に行くための通過across部屋のようになっている。
昔の田舎の家は、「田」の字のように和室が四つ並んでいた凹凸洞治療
そのうちの一つの部屋は後に洋室に改装されたが、建具はそのまま。
和室にも洋室にもマッチする、重厚な木の引き戸はそのまま使われている。
昔の田舎の実家の光景を思い出すと幸せな気分になるところから推測すると、わたしはどうも、実家愛が、強い、、、。
四季折々に身体いっぱいに季節を感じていた。
頭脳ではなく、精神でもなく、受けるのは体感。

「過去は消せない」とよく耳にする。
確かに。実感する。
隅々まで染み込んでいる。
過去は、自分の体の一部になっている。
過去の栄光や成功体験が染み付いている人もいるだろう。
過去の不幸な体験からまだ抜け出せない人もいるだろう。
過去と今を比べるのではなく、過去は今に至るまで切れずに続いているもの。
過去を消したい人もいるだろうけれど、わたしの場合は消したら何も残らない。

今、幸せなら、過去はなんだってよい。
未来は今から始まる。
だが、今まで続いた幸せに固執すると、囚われの身となる。
出来れば幸せを継続したいけれど、ままならぬこともある精靈針 效果
毎日毎日、平凡に平穏無事に完結するのが明日への幸せにつながる。

人間関係の潤滑油にな

わたしは小金持ち風ティストが苦手だ。
小金持ちそのものが苦手なわけではなく、小金持ち「風」「ティスト」が苦手。
これは、あくまでもティストであり、実際の財産、不動産や預貯金の有無は関係ない攝影新手
自分が勝手に脳内でイメージするもの。

マダムサロンに漂う雰囲気?
マダムサロンも、一種のロビー活動のような感じで、夫の仕事や出世に一役買うのなら、あるいは、コミュニケーションで仕事人間関係の潤滑油になるなら、と気配り、尽力すると思う。
プロ野球・妻の会」「歌舞伎役者を夫に持つ妻たち→梨園」みたいな世界はさておき。
なぜ、さておき、かと言うと、自分には無縁なので関心がないから。

もっと実業界だの、法曹界だの、経済界だの、教育界だの、政界だの、、、そう世界なら身近なのか?
ノン、否。全く別世界ではあるが、興味はある。
なぜなら、「◯◯の妻」ではなく、本人の世界。
それはそれとして。
たんなる、知らない世界への好奇心。

本人が、例えば、政治家になった三原じゅん子に関心があるかというと、べつにない。
政界での活躍より、最近では高級車盗難被害遭遇のほうが実際の動きとしては印象に残るTiktok 廣告
といっても、LINEニュースで見ただけで、わたしとは何の関わりもないが。
車庫は、都内の自宅に続くスペースのようなかんじだったので、国会議員さんは、やはり高収入のようだ。事業、多角経営とか?
これは、小金持ち?
まあそれはよいとして。

あくまでも、〇〇風、というイメージ、ティストの問題。
生き方にも関わってくる。
高級品を身につけ、高級品に囲まれた暮らしをしているのが、わたしが描く(狭義の)金持ちイメージ。
では、小金持ちとは?
金持ちのスケールを少し小さくしたかんじ?
ノン、否。

わたしが勝手にイメージ付ける小金持ちとは、、、金持ち自慢。
誇らしげに外に向かってアピールする、その鼻につくニオイが、苦手なのである。
自慢しなくても、垣間見えてしまうのはまあ仕方ないにしても、、、
ただ、わたしが苦手なだけだが。

それと、特権を振りかざす人。
このニオイには頭痛がする。
1日も早く失脚することを願ってしまうK1
自分では気づかないだろうけれど、長年、積み重なると、強烈なニオイを放っている。
なんであんなに横柄な、嫌な感じになるのだろう。
家族も距離を取り、誰一人として近寄らないのではなかろうか。
特権を目当てに群がる人々も、特権を失い失墜したら、誰も着いてこないだろう。
特権に溺れた悲しき副作用。結末。
こういう人は、おそらく一生、治らないと思う。
人生には、プラスとマイナスがあるようだ。

どんな感じなのか

プロジェクトX
一昨日、前回の再放送(深夜)と、昨夜、今回分放送(19:30〜20:15   45分)を見た。
第1回は、「東京スカイツリー」編。(23:45〜1:08   1時間23分)。
これは痺れた。じーんと痺れた。
まさに昭和の男たちだと思った。
感動した。胸が熱くなった。
時代は昭和ではなく、平成だったが抖音廣告

とび職、超絶スゴイ。
設計、超絶スゴイ。
総監督、超絶スゴイ。
チーム一丸となって全力で挑む。
緊張、達成感たるや、スゴイ。
闘魂の男たち。

あれで、家に帰って皿洗いや育児、今日の報告連絡相談をやっていたとしたら、どんな感じなのか???
全神経を集中させる大事な仕事中は別居のほうがいいかも?
「じゃあ、アナタ、育児は? 介護は?」
と妻に詰め寄られたとすると、、、
あら、どうしましょ。
仕事で心身共に毎秒毎秒、燃焼しきって、家に帰ると、またもや別の仕事が待っている。
気配りもして、気が休まる時がないuche高登
では、家庭を持てないということか。
しかし、家庭を持っても持たなくても、親はいる。
プライベートな私生活や環境と仕事は、別次元の話である。
ではあるものの、仕事に打ち込める環境は、ある意味、恵まれているのか。

とは言え、わたしは、やはり昭和人間だとつくづく自覚する。
熱い男たちの仕事に心底、敬意を抱く。
が、仕事を離れて家庭での役割を考えてみた時、自分でもよく解決できないモヤモヤがある。
子供の自立を妨げてしまうような過保護な親に通じる気持ちがまだある。
それは、、、仕事を、雑念に囚われず一生懸命して欲しいがために、家庭での役割をおろそかにしてもいいという甘い過保護傾向がある。
だがしかし、仕事を終えた後は、気持ちや役割を切り替え、家庭人になる器用さも求められている。
必要不可欠である。

オトコは黙って◯◯ビール。
キミ作る人、ボク食べる人。
というコマーシャルは隔世の感。
今ではハラスメントになるauche DSE

おしゃれな服も着ない

ルッキズムという概念があるらしい。
外見至上主義。
外見的な差別。
外見が良い人を高評価し、外見が悪い人を低評価する、ステレオタイプの考え方。
若い人が陥りやすいようだ。

人生経験が少ないと、そう思い込むのは理解できる。
視野も狭いし、生きてきた年月が浅いし、色んなことに出会う機会も少ない。
うわべで物事を見がち脫毛

しかし、、、
例えば、病院に入院して手術台に乗ったら、外側よりも、皮膚の内側。内臓、骨、肉。
だが、病院を一歩離れたら、見かけが人に与える影響は大きい。

さらに例えば、、、
今回、わたしが参加したミニ・ジャーニー。
服装は何にしようかと迷った。
わたしは、旅はカジュアルな軽装と決めている。
つまり服の状態(シワや汚れ、磨耗)が気になるような上等な服も、おしゃれな服も着ない。
ある時、同じ海外旅行ツアーに参加していた男性は、「僕は旅は1000円のTシャツと決めています」とおっしゃっていた。
経済背景や社会背景などの個人背景には関係がない、このスタンスには強いメッセージ性を感じた。

ではあるが、、、わたしはそこまで割り切れない。
見た目も気にするし、快適性重視ではあるものの、ちょっとだけ洒落っ気も欲しい。
自分なりの微々たるこだわりである袪斑

とは言え、平日、新幹線に乗り込むわたしは、ビジネススーツに身を包む人々にはどう映るか?
なんて、(誰も見ていないのに)そう考えてしまう。
まあ誰も見てない。
が、しかし。
毛玉が出来たカットソー。
実はこれは次女が着古したお下がり、お古なのだが、わたしは愛用している。
旅に欠かせないのは、暑さ寒さの調整が出来るもの、そして、(これは長女からのキツイ指導だが)、荷物量を最小限にすること。
これらを考慮すると、高級度、オシャレ度がガタっと落ちる、というか、実質本意で足が地に着く。
で、ツアーでご一緒の女性がステキな服を着ておられると、ちょっと怯(ひる)む。

ステキと言っても意味が何通りもある。
●(1)服そのものがステキである。(品質、デザイン)
●(2)ステキに服を着こなしている。(組み合わせ、個性)
この2つは違う。(両方兼ね備えている場合もあるが)
わたしの場合は明らかに前者(1)ではない。
なので、無理矢理、後者(2)を狙う。

ルッキズムから大いに離れている。
外見と言っても、自分で自在に変えられる外見ならいざ知らず、変えられない外見に対して、人は満足できないで劣等感を抱くのだろうMediLASE價錢
「人からどう見えようが、自分が満足する」というのは結構なことで理想なのだろうけれど、見方によっては、負け惜しみだったり、勘違いだったり、裸の王様だったりする。
あくまでも、見方によれば、であり、「それがどうした!」と、開き直り逆ギレするのも、ひとつの強硬的自己肯定。
クヨクヨ卑屈になるよりは、元気があってマシかも知れない。
痛々しい、とも取れる。

しみを味わえる頻

今、わたしの家の中は、子育て真っ盛りの風情。
リビングには、ジャングルジム、こどもキッチン(流し付き)、立ち入り禁止用・柵、動物クッション、、、
和室には、紙で出来た大きなお家、どっさりオモチャ、絵本、ぬいぐるみ加拿大留學移民、、、
インナーテラスには、野球盤ゲーム、、、

初めて孫ができてから、もう10年になるのに、まだこんなかんじ。
下はまだ2歳。さらに次女のところに1歳。
いつになったら、大人っぽい落ち着いた暮らしが出来るのやら。
とは言いつつ、賑やかな家になって、楽しんでいるのだが。
これが毎日だと、髪の毛を振り乱して疲れた顔をしていそうだが、週に2回だから、楽しみを味わえる頻度、距離感となっている。
ではあるものの、親抜きで、子供だけ4人同時に食事やその他の世話をすると、優しい声も維持できなくなる。
子供だけも疲れるが、やがて親が帰ってきて夕食となると、これまた、結構大人用夕食はめんどくさい香港專才申請條件
8人分、用意するが、自分の分は食べる気がせず、翌日に回したり、孫が食べてしまったり。
世の中の、孫の世話をしているおばあちゃん、おじいちゃん、頭が下がります。
ご苦労様です。

娘婿(長女の夫)のご両親は、日頃、ひっそりシニア2人暮らしのところを、一度に6人が帰省して泊まられると、さすがに疲労困憊のようす。
お互いに疲れるため、一泊だけ、ということにしているようだ。
その前後に、娘一家は旅館に宿泊して旅気分を満喫。
お互いの精神衛生上、良い。

と、皆さまには他人の家庭など、どうでもよいとは思うものの、わたしのおしゃべりは続く。


ある人気ブログ。ブロガーさんは団塊世代シニア。
夫婦円満の極意を紹介されている香港投資移民條件
生まれも育ちも違う二人が夫婦になったのだから、意見や感覚の相違はある。
お互いにそれを踏まえて理解して接し合おうとのこと。
シニアになってから卒婚を言い渡された妻や夫もいて、家庭内別居を余儀なくされているとか。
昔は夫の言うままに、白でも黒と言わされた妻。
「はい」を強制された。
今もそんな国がある。
21世紀の時代に、なんと恐ろしいことか。